日本全国のご当地グルメを北から順にご紹介していく「日本のおいしいもの巡り」。
日本の各地のご当地自慢の食材や、地元の名店の美味しい料理をご紹介するシリーズの第六弾。
第六弾は宮城のご当地グルメから厳選した8選をご紹介します。
①仙台ラーメン
Wikipediaによれば、”仙台ラーメン(せんだいラーメン)とは、宮城県仙台市周辺で食されてきたラーメンである。一般的な知名度は低いが、東北随一の歓楽街をかかえるところから独自の発展を遂げてきた。また、仙台は伊達政宗の頃から味噌が特産品であり、味噌ベースのラーメンが比較的多い。“とあります。
「ラーメン味よし」が古くから名店として有名で、この店の看板メニューの「辛味噌ラーメン」が仙台の代表的ラーメンとされています。
テーブルマーク(旧:加ト吉)からご当地ラーメン物として仙台風辛味噌ラーメンのカップ麺が発売されています。
最近では三色らーめんを提供する「麺屋だいず」や、仙台ブラック・レッドを提供する「飛梅」など、スパイスをきかせた現代のラーメン第四世代が新しいご当地の「辛味噌」を提供しています。
②冷やし中華
Wikipediaによれば、”冷し中華(ひやしちゅうか)とは、冷やした中華麺を使った料理の一種。野菜、叉焼やハム、錦糸卵などの色とりどりの具材を麺にのせて、冷たいかけ汁を掛けて食べる、夏の麺料理として日本各地で食べられている。地方によって、呼び方に相違がある。“とあります。
発祥と言われている仙台市錦町の龍亭では、冷し中華・冷麺が発売されたのは、1937年(昭和12年)のこととされ、創業者四倉義雄の資料によると「昭和十二年、全国の業界に先駆けて、涼拌麺を開発し…」という記録が残されてるそうです。
現・宮城県中華料理環境衛生同業組合の会合で、中華料理店共通の問題である夏の売り上げ低下の解決法、及び、多数の観光客が集まる仙台七夕の際に売れる目玉商品の開発について話し合われ、当時の組合長だった龍亭店主を中心に、ざるそばを元に新メニューの開発を行いました。
それは現代の冷やし中華とは異なり、湯がいたキャベツ・塩もみきゅうり・スライスしたニンジン・叉焼・トマトを上に乗せた物でした。戦中・戦後の食料難の間メニューからは消えたが、昭和20年代後半になって復活し、1965年(昭和40年)まで当初のスタイルを踏襲していました。
その後、徐々にスタイルを変化させながら、現在でも龍亭は錦町で営業を続けており、改良された冷やし中華を看板メニューにしています。
また、仙台市では他地域と異なり、冷やし中華は年間を通して提供されています。
③はらこ飯
Wikipediaによれば。”はらこ飯(はらこめし)は、炊き込みご飯の一種で、醤油や味醂など一緒に鮭を煮込んだ煮汁で炊き込んだご飯の上に、客に供する前に、鮭の身とイクラ(はらこ)をのせる。弁当ではこれらが要素であるが、店舗で供される場合は、さらに鮭のあら汁を合わせるのが一般的。 なお、単に炊飯された白飯の上に鮭の身(湯掻いたものの場合と刺身の場合あり)とイクラをのせた「鮭イクラ丼」とは区別される。“とあります。
「はらこ飯」の「はらこ」はその名のごとく「鮭の腹子」のこと。秋から冬にかけ宮城県沖で水揚げされる「天然秋鮭」を使った宮城県の郷土料理です。
作り方は鮭の身を甘辛く薄味で煮込み、その煮汁でごはんを炊き、最後に炊いたごはんを丼にのせ、その上に柔らかく煮込んだ鮭の身と、イクラをのせます。
江戸時代、鮭の漁が盛んな宮城県亘理町(わたりちょう)に時の領主「伊達政宗」が訪れた際、地元の人々が鮭とイクラを使った「はらこ飯」を献上したところ、大変美味な味に驚いたと言われています。以来、はらこ飯は宮城県亘理町の郷土料理として発展しました。
鮭の優しい香りとイクラの弾ける食感と旨味が際立ち、冬を感じる郷土料理として、鮭の水揚げ時期と同時に宮城県内の飲食店で楽しむことができます。
④石巻焼きそば
Wikipediaによれば、”石巻焼きそば(いしのまきやきそば)は、宮城県東部の石巻都市圏で広く食べられている焼きそばである。“とあります。
一般的な焼きそばは中華麺のような黄色い色をしていますが、石巻焼きそばの場合それをさらに水で洗い、もう一度蒸し上げにしています。 この二度蒸し上げにる作業によって化学変化し、麺は茶色くなります。ソースを練りこんでいるのかと勘違いしてしまうような調理前から茶色い麺で、水分をよく吸いこむ香ばしい香りが特徴です。
また、調理方法にも特徴があり主に出汁(だし)をかけ蒸しあげるようにして焼きそばを作ります。 そのほか、食する方がソース味はお好みでかけるという暗黙のルールがあり、古くから焼きそばを提供しているお店では当たり前のようにソースがテーブルに並んでいます。
1950年(昭和25年)頃、岩手県の現・奥州市前沢区から石巻市に移住した、後の春元製麺所の創始者が、焼いてもベタ付かない麺ができないか試行錯誤し、中華麺で用いられる強力粉より粘りの弱い「中力粉(普通粉)」を用いて麺を作って、二度蒸しする方法を編み出したのが石巻焼きそばの麺の始まりだそうです。
⑤金華サバ
石巻Wikiによれば、”宮城県石巻市の沖に金華山という島があり、この島の周囲の根に生息して回遊しない鯖のことを金華鯖というブランド名で出荷している。”とあります。
元々は石巻港に上がる根つきの鯖と呼ばれていたそうです。
金華さばの味の特徴は、通常のさばと比べ脂と身の旨味が強いにもかかわらず、後味がすっきりしていて魚臭さのない旨味が口に残るのが特徴。
醤油をはじくほど脂の含有量が多く、冷めてもおいしさは際立っています。しかし値段の方も際立っていて、築地ではキロ1万円の値がつくこともあるそうです。
⑥笹かまぼこ
Wikipediaによれば、”明治初期に仙台でヒラメの大漁が続いた際、保存するためすり身にして蒲鉾を作りさらに焼いたが、その時に笹の葉の形にしたのが始まりとされる。それ以後仙台の魚屋では自家製の笹かまぼこを売るようになったという。当初は「木の葉かまぼこ」「手のひらかまぼこ」「平かまぼこ」「ベロかまぼこ」などと呼ばれていたが、仙台市一番町に1935年(昭和10年)創業した阿部蒲鉾において、旧仙台藩主伊達家の家紋「竹に雀」の笹にちなんで「笹かまぼこ」と呼ぶようになってから、旧仙台藩地域で次第に名称が統一されていった。“とあります。
笹形の木枠あるいは鉄製枠にすり身を入れておおよそを成型し、贈答品などではその後手で細かな成形をする工程を入れて、竹串に刺して焼いて作られるそうです。
今では仙台を代表する特産品の一つとなっています。
⑦ずんだ餅
Wikipediaによれば、”ずんだ餅(ずんだもち または づんだもち)は、すりつぶした枝豆を餡に用いる餅菓子で、南東北、特に宮城県を中心にした地域の郷土菓子。“とあります。
枝豆の収穫時期となる夏に良く作られ、お盆やお彼岸のお供え物の定番料理です。
夏に作られる事から冷やして食べるのが普通で、すり潰して食べ易くされた「ずんだ(枝豆を潰したもの)」は消化にも良く暑い夏の料理として好まれています。
発祥には諸説あり、その中で有力なものに「豆打餅説」と「陣太刀餅説」とがあります。他に「甚太餅説」「ぬた餅説」などがあるそうです。
豆打餅説については、その製法から採られた「ずだもち(づだもち)」が訛ったものとされ、陣太刀餅説については戦の陣内において太刀で豆を切り刻んだ「じんだちもち」が訛ったものとされています。
いずれの説においても「伊達政宗公が名付けた」とされる点が共通しています。
作り方は、枝豆を茹で、薄皮を剥いて潰し、砂糖と食塩を混ぜてできたずんだ餡を餅にまぶせば完成です。
「牛タン焼き」、「笹かま」と共に、「ずんだ餅」は仙台の三大名物の一角となっています。
⑧仙台牛タン
Wikipediaによれば、”仙台牛タン焼き(せんだいぎゅうタンやき)は、宮城県仙台に始まった牛タン料理。戦後、庶民の外食産業から発展したものであり、仙台のご当地グルメとして知られている。やや厚切りにした牛タン焼きと、麦飯、テールスープ、浅漬けをともに提供する「牛タン定食」が定番である。“とあります。
「笹かま」、「ずんだ餅」と共に「牛タン焼き」は仙台で最も有名な名物の一つになっています。
その発祥は、第二次世界大戦後、仙台にもGHQが進駐した際に、大量に牛肉を消費する駐留米軍が残したタンとテールを有効に活用するために、1948年(昭和23年)に、仙台の焼き鳥店「太助」初代店主・佐野啓四郎が牛タン焼きの専門店を開業したことが「仙台牛タン」の始まりであるとされています。
牛タンの皮の部分を削ぎ落し、やや厚めにスライスして、そのスライスした両面に浅く切り込みを入れてから塩・コショウなどで下味を付けます。味付けは「塩」のほか「タレ(醤油タレ)」「味噌」も定番になっています。
仙台の牛タン料理専門店の牛タンは、スーパーや一般的な焼肉屋と比べると厚切りで、注文を受けてから炭火の焼き台で片面ずつ、何度か返しながら焼かれ、皿に並べて定供されます。
牛タンには佐野啓四郎の出身地である山形県のみそ南蛮、終戦直後の食糧難を反映した「麦飯」、冷蔵庫の普及前だったので生鮮野菜に代わる「野菜の浅漬け」が添えられます。
いかがだったでしょうか?
宮城グルメの厳選した8選。
宮城を代表するご当地料理や、知る人ぞ知るグルメまで、厳選したグルメをご紹介しました。
宮城の美味しいものの数々、是非ご賞味ください。