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日本全国のご当地グルメを北から順にご紹介していく「日本のおいしいもの巡り」。

 

 

日本の各地のご当地自慢の食材や、地元の名店の美味しい料理をご紹介するシリーズの第七弾。

第七弾は宮城のご当地グルメから厳選した8選をご紹介します。

 

 

 

 

 

①会津馬刺

会津で、スーパーなどの食料品店に普通に売られているのが「さくら肉」と呼ばれる「馬肉」です。とくに脂身のない赤身の肉が好まれ特製のニンニクを擂り下ろして唐辛子と混ぜた味噌ダレに、醤油を合わせて食べるのが一般的です。

日常的に良く食べられ、最近では、寿司などにしても食べられています。「馬肉」が会津で食べられるようになるのは、時代が大きく変化した1868年の戊辰戦争からと言われています。

東北地方では最も早く、文明開化の食べ物として「牛鍋」とともに「馬肉」が食されたのです。 戊辰戦争以降、会津では「馬肉」が食べられるようになりますが、生で食することはありませんでした。

現在のように生で食べられるようになったのは意外と最近のことで、昭和30年からです。鶴ヶ城西出丸にプロレス興行に来た力道山が、会津若松七日町の肉屋「肉の庄治郎」に出向き、店先にて持参したタレを取り出し、生で食べたのが始まりだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

②浪江焼きそば

Wikipediaによれば、”なみえ焼きそば(なみえやきそば)は、福島県双葉郡浪江町で生まれた焼きそばで、ご当地グルメの一つである。太めの麺が特徴で、具はモヤシと豚肉。ラードで炒め、濃厚なソースで味付けされる。一味唐辛子を振りかけて食べるのが通な食べ方とされる。“とあります。

常磐線浪江駅近くの居酒屋『浪江名物元祖焼そば 縄のれん』が1955年(昭和30年)に極太の麺を使用した焼きそばを提供し始め、それが浪江名物となりました。

2008年(平成20年)に浪江町商工会青年部が中心となって町興しのため「浪江焼麺太国」(なみえやきそばたいこく)という団体を設立。2010年に開催された『B-1グランプリ厚木大会』への参加を果たします。

2011年3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の影響で、浪江町全体が避難指示区域となり、「浪江焼麺太国」のメンバーも避難でバラバラになってしまいましたが、そんな中で参加した2011年に開催されたB-1グランプリ姫路大会では4位入賞を果たし、2012年に開催された北九州大会でも4位に入賞しました。

2013年11月9日・10日に愛知県豊川市で開かれた第8回B-1グランプリでは1位を獲得しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

③クリームボックス

Wikipediaによれば、”クリームボックスは、福島県郡山市が発祥の菓子パンである。1976年(昭和51年)に市内のパン屋「ロミオ」で誕生したとされる。“とあります。

食パンの上に練乳などのクリームがたくさん乗っていて、郡山市内では多くのパン屋や学校の購買で販売されています。

現在ではたくさんの味も販売されており、いろいろな味のクリームボックスを楽しむことができるようになっています。

学生たちの間では買い食いおやつの定番にもなっており、テレビなどで取り上げられることも多いため、お土産としても人気です。

 

 

 

 

 

 

 

④どぶ汁

Wikipediaによれば、”どぶ汁(どぶじる)とは、茨城県から福島県南部の太平洋沿岸地域に伝わる漁師料理で、あんこう鍋の一つである。“とあります。

まだアンコウが食材として一般的に知られていなかった当時、茨城県北部の漁師たちが船上で食べたあんこう鍋が始まりと言われています。

水をまったく使わず、ダイコンなどの野菜や味噌と鍋を持ち込むだけで作れることが船上での調理に好都合で、何より栄養価が高かったため、好まれた様です。

名前の由来は、あん肝が溶け出して汁がどぶのように濁ることから、また、どぶには「すべて」という意味があり、アンコウのすべてを入れることから「どぶ汁」という説もあります。

本来は水を加えずに作る調理法が「どぶ汁」と呼ばれていましたが、現在では水を加えても溶けたあん肝でスープが濁る鍋なら、「どぶ汁」と呼びます。

現在のどぶ汁では、鍋で生のあん肝を炒めた後にアンコウの身や野菜を入れるほか、出汁を加えます。通常のあんこう鍋以上に汁が濁るほどあん肝の量が多いのが特徴で、濃厚で深みのある味わいになります。

 

 

 

 

 

 

 

⑤ふくしま餃子

餃子といえば、宇都宮が有名ですが、福島市でもおいしい餃子が食べられるのをご存知でしょうか? 福島市には50年、60年と歴史のある餃子の店が何軒もあります。

独特の形状「円盤餃子」は、餃子をフライパンに円盤状に並べて焼き上げ、そのまま皿に移して出されます。円盤状にする理由としてはフライパンで一度により多くの餃子を焼くために、このようにしたと言われています。

その歴史は1953(昭和28)年、福島市の老舗餃子専門店「元祖円盤餃子 満腹」の創業者、故菅野かつゑさんが、満州(中国東北部)で現地の使用人たちから餃子の作り方を学びました。満州では水餃子が主流でしたが、使用人たちは残った水餃子を中華鍋にびっしりと並べて焼き、皿にひっくり返して出してきました。

焦げ目のついた餃子がとてもきれいだったので、かつゑさんは帰国後、フライパンでこれを再現し、近所に振る舞っていましたが、もらい物のリヤカーとしちりん、自前のフライパンで餃子を焼く屋台の居酒屋を始めました。

居酒屋では当初、焼き鳥やおでんも出していましたが、本場仕込みの餃子はたちまち話題となり、開店3カ月後には「他はいらないから餃子だけくれ」という客の声で餃子専門店になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

⑥白河ラーメン

Wikipediaによれば、”白河ラーメン(しらかわラーメン)は、福島県白河市を中心に供されているラーメン。いわゆる「ご当地ラーメン」の一つである。“とあります。

豚骨や鶏ガラを主体とした醤油ベースの澄んだスープと、スープが絡みやすい多加水の幅広縮れ麺が特徴で、青竹を踏んで麺を打つ手打ち麺が伝統的なスタイルです。

具はネギ、チャーシュー、メンマ、鳴門巻き、ホウレンソウなど。縁を食紅で塗り、炭火で焼いてから煮るチャーシューを使う店も多い様です。

白河ラーメンの発祥は亀源。現在人気なのはとら食堂。 同店の初代店主である竹井寅次が作るラーメンが美味しいと評判になったことから、市内から弟子入りを志願する人達が竹井の元を訪れるようになり、修業した人達が独立してラーメン店を出店しました。

それらの店で修業した人達が独立して店を出し、手打ちのちぢれ麺に醤油ベースのスープという白河ラーメンのスタイルが、市内各地へと広がっていったとされています。

現在では白河市内に100店を超える店が存在するほか、首都圏などにも白河ラーメンを出す店が広まっています。

今や福島を代表するラーメンの一つとなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

⑦カジキメンチ

第2回全国Sea級グルメで見事グランプリに輝いた小名浜の新名物「カジキメンチ」。サクサクっと軽く白身は淡泊な味。直径約13cmのジャンボカジキメンチは抜群の食べ応え。鶏むね肉のようにしっかりとした弾力と歯ごたえがありつつも、ほろほろっと繊維がほどける柔らかさです。

使用している『クロカワカジキ』は、白身で臭みがなく、鶏肉のような食感で和、洋、中、イタリアン等何にでも合う食材です。

 

 

 

 

 

 

 

⑧喜多方ラーメン

Wikipediaによれば、”喜多方ラーメン(きたかたラーメン)とは、福島県喜多方市発祥のご当地ラーメン(ご当地グルメ)である。“とあります。
札幌ラーメン、博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンの一つに数えられています。

2006年(平成18年)1月の市町村合併前の旧喜多方市では、人口37,000人あまりに対し120軒ほどのラーメン店があり、対人口比の店舗数では日本一でした。

スープは醤油味の透明な豚骨スープが基本で、あっさりした味わいのラーメンです。豚骨のスープと煮干しの出汁を別々に採り、それらをブレンドするお店もあります。

醤油味が基本ですが、店によっては塩味や味噌味のラーメンも存在します。 麺は「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれる、幅約4mmの太麺で、独特の縮れがあり、食感は柔らか目です。具はチャーシュー、ねぎ、メンマ、ナルトなどが一般的です。

その発祥は、昭和2年に「源来軒」創業者の中国・浙江省出身の潘欽星(ばん きんせい)が、中華麺に近い「支那そば」を打ち、屋台を始めた事から始まります。

その後、潘の「楽天支那そば」作りのノウハウを継承する人間が増え始め、「満古登(まこと)食堂」「坂内(ばんない)食堂」など市内の多くの「食堂」が「支那そば(中華そば)」をメニューに出すようになりました。

このような流れから、現在も市内の多くのラーメン店が「○○食堂」という屋号を使っています。

 

 

 

 

 

 

 

いかがだったでしょうか?

福島グルメの厳選した8選。

福島を代表するご当地料理や、新しいグルメまで、厳選したグルメをご紹介しました。

福島のグルメの数々を、是非ご賞味ください。

 

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