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日本全国のご当地グルメを北から順にご紹介していく「日本のおいしいもの巡り」。

日本の各地のご当地自慢の食材や、地元の名店の美味しい料理をご紹介するシリーズの第17弾。

第17弾は神奈川のご当地グルメから厳選した8選をご紹介します。

 

 

 

 

 

①とん漬け

「とん漬」とは、選りすぐりの国産豚に、秘伝の「炊いた味噌」を一枚一枚丁寧に塗り重ね、じっくりと漬け込んだものです。

江戸末期、荻野山中藩(現在の厚木市近辺)で人寄せがありました。 しかし、思いのほか集まった客人が多く料理が不足してしまったのです。

何とかならないかと思案した結果、猪の肉に味噌を塗ったものを出すことにしました。 ところが、当時の武士は四ッ足の肉(牛や豚、馬や猪、鹿や兎など四本足の動物)を食べる事を嫌っていました。

そこで、何の肉か分からぬよう味噌を塗ったまま焼き、それを膳に添えたところ意外にも美味いと評判になりました。 これが「とん漬」の始まりと言われています。

とん漬け 8枚入り

 

 

 

 

②鎌倉ハム

Wikipediaによれば、”鎌倉ハム(かまくらはむ)は食肉加工品であるハムのブランドの一つ。複数の業者が製造販売しており、「日本ハム」や「伊藤ハム」、「プリマハム」のような一企業に属する単独銘柄ではない。“とあります。

1874年(明治7年)、イギリス人技師ウィリアム・カーティスが神奈川県鎌倉郡で畜産業を始め、1876年(明治10年)上柏尾村の戸塚街道に面した場所に観光ホテル「白馬亭」を開業、敷地内でハム・ソーセージや牛乳、バター、ケチャップなどの製造を行い、主に横浜居留地の外国人向けに販売しました。

この時点でカーティスは一切の製法を秘密にしており、日本人が工場へ立ち入ることを許しませんでしたが、1884年(明治17年)に起こった地震の際に工場が出火し、これを近隣住民が消火作業にあたったためその恩義に応えるべく、カーティスは益田直蔵らに製法を伝授しました。

またカーティスの妻かねが奉公人時代に世話になっていた地元の名家・齋藤家の当主齋藤満平(「万三」説あり)にも製法を伝授しました。

後にカーチスは日本を去りましたが、鎌倉の地には、ハムの製造者、技術者が確実に育っていきました。製造されたハムは鎌倉、箱根、横浜の一流ホテルに卸され、宿泊客の評判となり、発祥の地名から『鎌倉ハム』として広まっています。

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③小田原のカマボコ

Wikipediaによれば、”小田原蒲鉾(おだわらかまぼこ)は、蒲鉾の一種。小田原蒲鉾、小田原かまぼこは、地域団体商標である。“とあります。

蒲鉾の歴史は古く、その昔神功皇后が三韓征伐の際(3世紀頃)、すりつぶした魚の身を鉾の先につけ、焼いて食したのがはじまりだと伝えられています。

「蒲鉾」の名は形状が蒲という植物の穂に似ていたことから生まれたといわれ、平安時代の故実書『類聚雑要抄』にも、貴族の祝賀料理の献立図に「蒲鉾」の文字が登場します。これが蒲鉾に関する最も古い文献です。

また、足利時代には儀式用として使われていたという記録が残っています。 小田原で蒲鉾づくりが盛んになったのは、今から220年くらい前だといわれています。

交通が不便であった当時は、箱根に新鮮な魚を供給することが困難でした。そこで供されるようになったのが保存性のよい蒲鉾です。特に小田原は、蒲鉾づくりに欠かせない豊富な魚と水に恵まれていました。

小田原蒲鉾は参勤交代で箱根路を通る大名にも賞味されたため、その美味しさは多くの人々の口伝えで全国へ広まっていったのです。

 

 

 

 

④横浜牛鍋

幕末の安政6年(1859年)に横浜が開港された後、外国人居留地に暮らす日本国外の人々から肉食文化が伝わってきました。居留地人口の増加に伴い牛肉の需要が増加し、江戸幕府は元治元年(1864年)、居留地に指定されていた横浜の海岸通に屠牛場の開設を認めました。

屠場開設から2年遡った文久2年(1862年)に横浜入船町で居酒屋を営んでいた「伊勢熊(いせくま)」が1軒の店を2つに仕切り、片側を牛鍋屋として開業したのが、すき焼きを提供した最初の事例とされています。

幕末から明治時代の牛肉は、現在と異なって獣臭さが強いもので、スライサーのない当時は牛肉も今のような薄切ではなく、硬く煮え難いものでした。それを緩和するために、明治の「牛屋(ぎゅうや)」の牛肉料理は、ネギやタマネギの香味野菜を使い、味噌仕立ての味付けで煮たり、炒め煮にしたりする鍋料理が主流でした。

1887年(明治20年)頃になると、具材において牛肉や野菜の他に白滝や豆腐が使われ始め、ネギはザクザクと切ることから「ザク」と呼ばれ、この「ザク」という言葉は具材全体の総称にもなっており、これらをたっぷりの割下で煮た牛鍋が関東風すき焼きの原型となりました。

 

 

 

 

⑤生しらす丼

「シラス」とは元々、鮎やウナギ、イワシ、ニシン、イカナゴなどの魚の稚魚の総称。「シラスウナギ」という言葉もある通り、この種の稚魚は体に色素が少なく、白色~透明色をしているのでこう呼ばれます。

現在、一般的に「シラス」として売られ、食されているのは、イワシの稚魚、主にかたくちイワシの稚魚です。カタクチイワシ以外にもマイワシやウルメイワシの稚魚もシラスとして流通しますが、量としてはカタクチイワシの稚魚が最も多いです。

しらすの漁場は全国にありますが、湘南地方はその代表的な水揚げ地のひとつ。観光地にも恵まれた湘南では、江ノ島や鎌倉など観光を楽しみながら新鮮なしらすを楽しむことができます。

 

 

 

 

⑥三崎のマグロ

kotobankによれば、”神奈川県三浦半島沖にある三崎港に水揚げされるマグロの総称。関東地方、神奈川県の地域ブランド。“とあります。

クロマグロ・ミナミマグロ・インドマグロなど世界各地でとれたマグロが集まる日本屈指のマグロ漁港として有名。毎年年末には、三崎新港で三崎まぐろ祭が開催されます。

三崎港は、古くは三浦・北条・徳川水軍の根拠地として、また江戸時代には日本で初めてセリがおこなわれた場所としても知られています。

 

 

 

 

⑦シロコロホルモン

Wikipediaによれば、”厚木シロコロ・ホルモン(あつぎシロコロホルモン)とは神奈川県厚木市を中心としたホルモン焼き料理である。B級グルメの大会(第3回「B-1グランプリ」2008年)で優勝した。“とあります。

厚木市では昭和20年ごろから養豚業が盛んになり、岡田地区に豚肉の処理場が開設され新鮮な豚肉並びに内臓の流通が豊富かつ容易でありました。そん な背景の中で自然と豚ホルモン焼の店もたくさん出来るようになりました。

一般にホルモンとして売られているものは、腸を割いて平たく薄いものが多く、生でなくボイルしたものがほとんどで、牛も豚も白モツ、として売られています。

厚木の豚ホルモンはやわらかい大腸のみを割かずに管状のまま脂身を適度につけながらきれいに洗い、しかもボイルせず生の状態で流通し、その日のうちに市内のホルモン焼屋さんに納品されお客様に提供されます。

やわらかな歯応えがあり皮の部分と、内側のぶ厚く脂が付いている部分があり網焼きにする とコロコロになるのが特徴です。

 

 

 

 

⑧家系ラーメン

Wikipediaによれば、”家系ラーメン(いえけいラーメン)は、1974年以降に登場した神奈川県横浜市発祥の豚骨醤油ベースで太いストレート麺を特徴とするラーメンのラーメン店群である。ラーメン店「吉村家」を源流とする。横浜ラーメンと呼称されることも多いが、より以前から存在する横浜市中区ルーツのラーメンとは異なる。“とあります。

吉村家から暖簾分けおよび派生したラーメン店の屋号に「〜家」とついているところが多かったところから、家系という通称で呼ばれるようになりました。

豚骨や鶏ガラから取った出汁に醤油のタレを混ぜた「豚骨醤油ベース」のスープ、太麺と、ホウレンソウ、チャーシュー、海苔のトッピングで構成されており、 家系ラーメン店では、味の濃さ、スープの脂の量、麺のゆで加減を指定できる店が多いのが特徴です。

 

 

 

 

 

いかがだったでしょうか?

神奈川グルメの厳選した8選。

神奈川を代表するご当地料理や、知る人ぞ知るグルメまで、厳選したグルメをご紹介しました。

美味しい神奈川のグルメの数々を、是非ご賞味ください。

 

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